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本を読んで社会をのぞき見

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見えない人の世界を体感する あなたは視野から解き放たれる

目の見えない人は世界をどう見ているのか 伊藤亜紗(光文社新書)

 

この本書いたのどんな人

 この本を書いたのは、東京工業大学リベラルアーツ教育院の准教授をされています。

 

リベラルアーツ・センター時の著者のページ↓

asaito.com

 

リベラルアーツってなんだ?って調べてみたら

伝統的な科目群の位置づけや内容に現代的な学問の成果を加え、やはり大学で誰もが身に付けるべき基礎教養的科目だと見なした一定の科目群に与えられた名称で、より具体的には学士課程における基礎分野 (disciplines) のことを意味する。この現代的な分類では、人文科学自然科学社会科学、及びそれぞれの一部とみなされる内容が包括されることになる。

リベラル・アーツ - Wikipedia

 

わかったようでわからぬ説明ですが、そんな中で、著者は美学、現代アートを専門としておられます。

 

内容

本書はいわゆる福祉関係の問題を扱った書物ではなく、あくまで身体論であり、見える人と見えない人の違いを丁寧に確認しようとするものです。 

 

この本では、空間認知、手や耳の感覚、見えない世界での体の使い方、言葉など、見えない人たちとの対話を通して、見えない人が見ている世界を丁寧に解説していきます。

 

とはいえ、著者曰く

見えないことと目をつぶることは全く違う

 とのこと。

 

この本を読むことで、目が見える人が目をつぶるだけでは想像できない、目に頼らない世界を、頭の中で作り上げることができると思います。

 

私の感想

 

この本を手に取った私には、目が見えない人の世界を理解しようという、上から目線のおごりがあった。

興味本位な態度だった。

見えない人は、見えないと思っている人がほとんどだろうし、私もそうだった。

 

しかしそうではない。

見ることが、目の前に何があるか、それがどんな形で、何色なのかを知る、ということだと考えれば、目で見ることが、見るということの全てではないことがわかる。

 

見える人は、見えるがゆえに、物の裏側、自分の後方など死角が生じる。

しかし、見えない人は、

 視野を持たないゆえに視野が狭くならない。とんちみたいですが、私たちの先入観を裏切る面白い経験です。

 

この本を読んで、私自身、様々な行為で、見ていることがわかった。

例えば、本を読んで物語の情景を思い浮かべることも、見ることに等しいように思う。

 

見える人が上から目線でいる以上、体感できない世界を、この本では気づかせてくれた。

 

週末には、美術館に行ってみようと思う。

見えない人と歩くならと想像しながら、鑑賞して見たいと思った。

 

 

目の見えない人は世界をどう見ているのか 伊藤亜紗(光文社新書)

 

 * オススメの新書あります

tetuneco.hatenablog.com

 

 

走れ!芽野!おい!ちょい待て、そっちじゃない!だから踊るなって!

新訳 走れメロス 他四篇 (森見登美彦) 

 

この本書いたのどんな人

森見登美彦氏は、どんな人なんでしょう。

 

あ、いや、ここにどんな人なのかを調べて、書くのは私でした。

なんと言いますか、いつもならウィキペディアで調べて、ちょちょっと経歴を貼り付けるだけで済ませているわけですが、実は私、森見登美彦さんのファンでありまして、こんな人ですよ、というふうに、森見氏のことを簡単に形容したくない気持ちなのです。

まあ、作品を読ませていただく限りではきっと、妄想ほとばしるお茶目なお方なんだろうなと思われます。

 

この度、調べて初めてわかったことですが、はてなブログを使用しておられました。

これは嬉しい。

しかも、著者のブログは、大変なまったりぶりでありまして、ますますファンになりました。

ブログはこちらです↓

d.hatena.ne.jp

 

 

内容

この本では、大人の暴走ファンタジーをお書きの著者が、

「山月記」、「藪の中」、「走れメロス」、「桜の森の満開の下」、「百物語」を、

著者の妄想力を最大限に発揮して、いつもの森見ワールドへと変換している。

 

そしてやっぱり、4つの物語の舞台は、大学。

もちろん登場するのは、一筋縄ではいかない男子学生の面々だ。

そして女の子は、男たちにつれない。

 

4つの物語が、登場人物でゆったりとつながっているのも素敵だ。

 

この本は、 元の物語と森見ワールドを同時に楽しめる、読書上級者向けの本だと思う。

 

私の感想

過去の名作を、著者がどう料理するのかが楽しみで、この本を開いた。

読んでみると、元の物語のモチーフを生かしつつ、全くもって著者の世界観に仕上がっていて、感嘆するやら何やら。

しかも、偉大な名作をモチーフにしているだけあって、いつもの馬鹿馬鹿しさにも何やら崇高な幻想のように感じる。不思議な感覚だ。

 

 

ファンタジーというと、勇者や賢者、妖精なんかが出てきて、冒険をしたり、お姫様を助けたりする。

著者が書く大人ファンタジーはこうだ。

己を貫く悩める男たち(勇者)や、なんとなくまともな人(賢者)、遠くから見るだけの憧れの女子(妖精)が、京都の街を舞台に、勇者は片思いを貫き、男のロマンを達成する。

 

いつまでもこうあってほしい。

 

 

* 私の好きな森見登美彦10選

 

tetuneco.hatenablog.com

 

あなたのコーチになってくれる本があります

ザ・コーチ 谷口貴彦 (小学館文庫プレジデントセレクト) 

 

この本書いたのどんな人

この本の著者を検索してみたら、公式サイトに経歴が載っていました。 

 色々な職業を経て、プロコーチとしてデビューされたそうです。

 

著者の公式サイトはこちら↓ 

www.coach7ps.com

 

公式サイトでは、著者のお写真も拝見できますが、色々な職業を経ていらっしゃるだけあって、何やら経験が刻まれたお顔のようにお見受けしました(単にシワがあるということではございませんよ。)。

 

著者のコーチングは、様々な職業や立場による経験が十分に生かされているのではないかと思います。

 

内容

この本は、冴えない営業マンが、ふと立ち寄った公園で出会った老人との対話の中で、 人生の目標を見出し、より良い自分を目指していく物語形式になっています。

著者は、冴えない営業マンとともに、読み手をより良い自分へと導いていきます。

 

とはいえ、目指すのは、他の誰かのようになることではありません。

それは、

人は、他の誰かに憧れて、同じようになろうとすると、その人にあって、自分にないものばかり見てしまいます。それで、結局は、そんな自分を否定することになります。

 

まずは、「夢」、「目的」、「目標」、「ゴール」、「ビジョン」と、進むべき道を描き出すための概念を、しっかりと捉えるところから始め、少しずつ「最高の自分」への道筋が見えてきます。

 

この本では、小さな一歩から、少しずつ取り組めるように書かれていますので、どんな人でも、「最高の自分」への手がかりが見つかると思います。

 

私の感想

コーチングというと、なんだか「一緒に頑張ろうぜ!」という暑苦しいものを感じてしまって、敬遠しがちな私。

 

この本も暑苦しいコーチが待っているのかと思いきや、待っていたのは、静かで暖かく見守るコーチでした。 そしてコーチは、私が本当にやりたいこと、目指すべき私の未来の姿を、少しずつ少しずつ見せてくれました。

 

本を読み終えた私は、この本の教えに従って手帳の後ろに、夢を100個書いてみましたが、22個しか書けませんでした。

 

 今の若い人は、夢がないとよく言われますが、それは子供の時、純粋に叶えたい夢を大人に話すと、もっとちゃんとして夢を持てとか、そんな考えで通用するわけがないとか、馬鹿なことを言っているんじゃないとは、否定や批判をたくさん受けて、それが夢を語ることに対する恐れとか、嫌な気分を味わったといった、トラウマになっているのでしょうね。

 

私の夢が小さくなって、22個しか思い浮かべられないのは、歳のせいもあるとは思いますが、自分で自分の夢を否定し続けているせいでもあると思いました。

 

今はともかく、心をもっと自由にして、些細な夢でも100個を目指して書き出していくことから始めていきたいと思っています。

そのことで、自分の求めるものが見えてくるでしょうし、反対に、すでに満たされた夢の部分も認められて、私自身の肯定感も生まれてくるように思います。

 

そうして、「夢」を「夢」で終わらせず、残りの人生、最高の自分に向かって、歩いていけたらと思っています。

 

 

小さな下宿ふうのアパートにて ここでいいより ここがいい暮らし

お家賃ですけど 能町みね子(文春文庫)

 

 

この本書いたのどんな人

この本を書いたのは、エッセイスト、イラストレーターさんです。

どうやら人生の途中で、男性から女性になられたそうで、そういった経験もいくつか本にされておられます。

 

検索してみたら、はてなブログで、ブログを書いておられていて、なんだかちょっと親近感が湧いてしまいました。

 

気になった方はこちらを↓ 

nomuch.hatenablog.com

 

ほんとかどうか定かではありませんが、ウィキペディアによると東大卒なのだそう。

何気なく書かれているようである文章が、繊細で美しく見えたのは知性のなせる技かも(私が学歴に弱いだけかも・・・。)。

 

内容

東京牛込にある小さな下宿ふうのアパートに、著者は「加寿子荘」と名付けています。

正式な名前はなく、著者が大家さんの加寿子さんからとって名付けました。

 

築40年を誇る加寿子荘は、玄関も階段も下駄箱も共同ですが、加寿子さんがせっせと磨いてピカピカです。アンティークにある長く愛されたものの輝きのようなものが、建物全体を包んでいます。

 

この本では、著者の加寿子荘での毎日を淡々と綴っています。

多くを求めず、飾り立てない、これで十分という脱力した毎日です。

 

この本は、ふわふわとして可愛らしい本でした。なので多分、著者って、ふわふわとして可愛らしい人なんだろうなぁと思います。

 

私の感想

東京という街では、どこへ行っても、ごうごうと音を立てる川のように人が流れて、どこかへと向かっている。多くは駅へ、あるいは光り輝く建物へと流れ込んで行く。
 
そんな東京に、ひっそりとある加寿子荘は、人も時間も止まっているかのようだ。
ごうごうと流れる人々のたどり着く先には、私の知らない、可愛い東京がありました。
 
著者は、加寿子荘を愛している。

私も著者も大嫌いな、名前を口にするのもおぞましいGも出没するという古い建物の何がそんなに?と思わなくはないだが、なんというか、加寿子さんと磨き込まれた加寿子荘の佇まいに惚れ込んでいるのだろう。

 

私は、通勤時間1時間超は当たり前の片田舎に住んでいる。

何を好んでそんなところにと思われているが、私はここを離れる気は毛頭ない。

 

愛着ある土地や家に出会い、そこで暮らせるのは、幸せなことだと心から思う。

そしてそこが、ただ愛着があるだけではなく、背伸びをしない安らげる居場所であればなお良いと思う。

 

私は著者の多くを求めない生き方に、なんだかホッとした。

抱えすぎていたものを下ろして、小さい頃からずっと大事にしてきた自分と無理しないで生きていきたいと思った。

 

 

お家賃ですけど 能町みね子(文春文庫)

 

*おすすめのエッセイあります 

tetuneco.hatenablog.com

 

互いに愛せよ さもなくば死あるのみ

 モリー先生との火曜日 ミッチ・アルボム (NHK出版)

 

この本書いたのどんな人

この本を書いた人は、

ジャーナリスト、脚本、劇作家、ラジオおよびテレビの放送者、音楽家。著作は世界中で3,000万冊を売り上げる。初期のスポーツ記事は国により認められており、本、芝居、映画では印象的な話の流れや主題で知られている。

 

タイトルにもあるモリー先生は、著者の大学時代の恩師でした。

教授と生徒という立場ではありましたが、二人は、共に語り、散歩をし、時にはダンスをして、もちろん著者は、モリー先生から多くを学びました。

 

そんな二人は、単に死にゆく人と、そのインタビュアーという関係ではなく、友情にも似た、 深い信頼関係のもとにあるのでした。 

 

 

内容

 大学を卒業後、ミュージシャンを目指した著者でしたが、夢破れてスポーツ記者となり成功を果たします。

その間、大学の恩師であるモリー先生とは、疎遠になっていました。

 しかし、ある日テレビで見かけたモリー先生のは、死を間近にし、人生、愛、そして死について語っていました。

著者は、すぐさま先生の元を訪れ、それを機に二人の対話が始まります。

この本は、モリー先生が語り、著者が書き留める形で、生きることの意味を綴った最終論文なのです。

 

 

私の感想

 生きるということは、苦悩に満ちている。

多くの人は、そう思って、あがくように生きているけれど、それはただの思い込みなのかもしれない。

 

日に日に忍び寄る死を前に、先生は語る。

多くの人が無意味な人生を抱えて歩き回っている。自分では大事なことのように思ってあれこれ忙しげに立ち働いているけれども、実は半分ねているようなものだ。まちがったものを追いかけているからそうなる。

人生に意味を与える道は、人を愛すること、自分の周囲の社会のために尽くすこと、自分に目的と意味を与えてくれるものを創りだすこと。

 

カネも仕事もダメ。愛が必要、と先生は言い切る。

 それは、モリー先生が死を前にしたからそういうのではない。

モリー先生のこれまでの生き方が愛に満ちていたからこそであろう。

 

こんな愛のある人が、私のそばにいてくれたらと願わずにはいられない。

しかし、もしかしたら、愛ある人が、私のそばに、いたのかもしれない。そして今も、愛を与え続けてくれているかもしれない。

 

しかし私は、愛の選り好みする。

 

このままだと、私の人生は、ものすごく味の薄いスープのようになりそうだ。

それもいい、それも私の味だと思えるまで、私は愛を求めてもがき続けるだろう。

 

明日からは、愛から目を背けず歩いて行こう。

まずは、一歩。

恐れずに進もう。

暖かな明日に、暖かな死に向かって。