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互いに愛せよ さもなくば死あるのみ

 モリー先生との火曜日 ミッチ・アルボム (NHK出版)

 

この本書いたのどんな人

この本を書いた人は、

ジャーナリスト、脚本、劇作家、ラジオおよびテレビの放送者、音楽家。著作は世界中で3,000万冊を売り上げる。初期のスポーツ記事は国により認められており、本、芝居、映画では印象的な話の流れや主題で知られている。

 

タイトルにもあるモリー先生は、著者の大学時代の恩師でした。

教授と生徒という立場ではありましたが、二人は、共に語り、散歩をし、時にはダンスをして、もちろん著者は、モリー先生から多くを学びました。

 

そんな二人は、単に死にゆく人と、そのインタビュアーという関係ではなく、友情にも似た、 深い信頼関係のもとにあるのでした。 

 

 

内容

 大学を卒業後、ミュージシャンを目指した著者でしたが、夢破れてスポーツ記者となり成功を果たします。

その間、大学の恩師であるモリー先生とは、疎遠になっていました。

 しかし、ある日テレビで見かけたモリー先生のは、死を間近にし、人生、愛、そして死について語っていました。

著者は、すぐさま先生の元を訪れ、それを機に二人の対話が始まります。

この本は、モリー先生が語り、著者が書き留める形で、生きることの意味を綴った最終論文なのです。

 

 

私の感想

 生きるということは、苦悩に満ちている。

多くの人は、そう思って、あがくように生きているけれど、それはただの思い込みなのかもしれない。

 

日に日に忍び寄る死を前に、先生は語る。

多くの人が無意味な人生を抱えて歩き回っている。自分では大事なことのように思ってあれこれ忙しげに立ち働いているけれども、実は半分ねているようなものだ。まちがったものを追いかけているからそうなる。

人生に意味を与える道は、人を愛すること、自分の周囲の社会のために尽くすこと、自分に目的と意味を与えてくれるものを創りだすこと。

 

カネも仕事もダメ。愛が必要、と先生は言い切る。

 それは、モリー先生が死を前にしたからそういうのではない。

モリー先生のこれまでの生き方が愛に満ちていたからこそであろう。

 

こんな愛のある人が、私のそばにいてくれたらと願わずにはいられない。

しかし、もしかしたら、愛ある人が、私のそばに、いたのかもしれない。そして今も、愛を与え続けてくれているかもしれない。

 

しかし私は、愛の選り好みする。

 

このままだと、私の人生は、ものすごく味の薄いスープのようになりそうだ。

それもいい、それも私の味だと思えるまで、私は愛を求めてもがき続けるだろう。

 

明日からは、愛から目を背けず歩いて行こう。

まずは、一歩。

恐れずに進もう。

暖かな明日に、暖かな死に向かって。

 

お城好き必読! いつかは行きたい現存12天守閣を巡る旅を本で  

現存12天守閣 山下景子(幻冬舎新書)

 

この本書いたのどんな人

著者をどんな人か調べてみたら、ウィキペディアに評論家とあった。

しかし、何の評論家なのかは、よくわからなかった。

そこで、著者の公式ホームページを覗いて見ると、「季節の言葉と美しい日本語」をテーマとされたページを運営されていました。

美しい日本語をテーマとする本もたくさん書かれておられて、日本語をこよなく愛する方なのかなと思います。

 

気になる方はこちらをどうぞ↓

http://yumenokotonoha.com

 

 

内容

日本には、たくさんのお城がありますが、現在、建てられた時の天守がそのまま現存しているのは、

 弘前城(青森県)、松本城(長野県)、丸岡城(福井県)、犬山城(愛知県)、彦根城(滋賀県)、姫路城(兵庫県)、松江城(島根県)、備中松山城(岡山県)、丸亀城(香川県)、松山城(愛媛県)、宇和島城(愛媛県)、高知城(高知県)

の12天守です。

 

この本では、ひとつひとつの天守について、作られた時代背景や暮らした人々、そして、現在の様子が、美しい日本語と著者の感性で旅していくように書かれています。 

この本を読むだけで、繊細に描かれた水彩画のように、天守の姿を思い描くことができそうです。

 

もちろん、誰がどういう経緯で建てられたのか、いかにして天守は守られたのかといった、天守に関する歴史的解説も丁寧になされていて、歴史ファンも納得の一冊ともいえます。 

 

私の感想 

何を隠そう私は、お城好きだ。

通っていた高校が、お城の側だったことが、私の城への愛着を育てたのだろう。

 

この本にある現存天守のうち、私が実際に訪れたことがあるのは、犬山城(愛知県)、彦根城(滋賀県)、姫路城(兵庫県)、松江城(島根県)、丸亀城(香川県)の5つで半分も訪れていない。

 

中でも彦根城が好きで、ここ数年は、年に3度は訪れている。

四季のあるこの国で、空や草木の色、天守を包む風、天守へと登る時に滴る汗、石垣を這う蔦の色など、四季折々の城を味わうには、年に何度か訪れる必要があるのだ。

 

今度は、見た目の美しさだけではなくこの本を片手に歴史的な背景を確認しながら、天守を深く味わいたい。 

 

そしていつかは、すべての現存12天守を巡りたい。 

 

 

 

*オススメの新書あります

tetuneco.hatenablog.com

 

*私の好きなおすすめ彦根旅

tetuneco.hatenadiary.com

瞑想難民にならないために 瞑想する前の迷走中に読もう

悟らなくたって、いいじゃないか 普通の人のための仏教・瞑想入門

 

 

この本書いたのどんな人

この本は、魚川裕司さんと、プラユキ・ナラテボーさんのお二人による対談をまとめたものです。

 

魚川裕司

日本の仏教研究者、著述・翻訳家。東京大学文学部思想文化学科卒業(西洋哲学専攻)、同大学院人文社会系研究科博士課程満期退学(インド哲学仏教学専攻)。2009年末からミャンマーに渡航し、テーラワーダを中心とした仏教の行学(実践と学問)を学びつつ、仏教・価値・自由などをテーマとした研究を進める。仏教徒を自称しておらず、自身がいわゆる「仏教徒」であるとの自覚はないとしている。

(https://ja.wikipedia.org/wiki/魚川祐司より)

 

プラユキ・ナラテボー

上座部仏教の日本人僧侶

タイで出家し副住職を務める、近年は日本での瞑想指導も行なっておられる。

 

 

内容

 全編にわたり、お二人が瞑想を巡って、議論を交わす対談集。

 

一人は、東大を卒業し仏教を研究しておられ、もう一人は、タイで出家して修行も積まれたお方、お二人ともとても普通の人とはかけ離れた存在だ。

 

タイトルには、「普通の人のための」とあるが、ここにいう「普通」は、ある程度仏教に理解のある方を指しているように思う。

確かに瞑想や悟りについて書かれてはいるのだが。入門書というには、専門用語が多用されており、その門は狭いと感じた。

 

内容をまとめようにも、私には多くは理解できなかった。

ただ、仏教の難しいことはわからないままに、お二人の世界観をなんとなく読み取って、感じるための本かなと。

 

私の感想

私は、どんなものなのかよくわからないままに、瞑想に耽りたかった。

家の近くで瞑想会をやっているという寺院も見つけた。

そんな折、悟らなくてもよく、普通の人のための瞑想の入門とあって、この本に飛びついた。

 

しかしこの本は、私に瞑想を与えてはくれなかった。

そして、いい意味で、私の瞑想にすがる思いを打ち砕いた。 ただ単に、私が普通以下だったというだけのなのだろうが。

 

お二人曰く

「瞑想の技術において優れているということが、人格的に優れていることと直接的にはつながっていない」

んだそうだ。

 

なるほど。

瞑想は、私に悟りを与え、私を覆うあらゆる混沌を消し去る消しゴムでもない。

瞑想とは、私に戻るという感じであって、私を育てるものではないのかなと、私はそんなふうに解釈した。

 

この解釈は、全然違う見当違いなのかもしれない。あっているのかどうかすらわからない。

そもそも、なんでもすぐに理解でき、瞑想すれば悟りが得られると短絡的に考えること自体が間違っているのだろう。

 

この本は、瞑想へのアプローチが少し見えた本だった。

 

 

* 謎な新書あります

 

tetuneco.hatenablog.com

 

犯人たちよ、福家警部補に隙を与えてはいけない

福家警部補の再訪 大倉崇裕(創元推理文庫) 

 

 

この本書いたのどんな人

 この本を書いた人は、

会社勤務を経て1997年、「三人目の幽霊」で第4回創元推理短編賞佳作を受賞。1998年「ツール&ストール」で小説推理新人賞を受賞(応募時の筆名は円谷夏樹)。

2001年、『三人目の幽霊』でデビュー。 特撮、フィギュアなどにも造詣が深く、これらを題材にした作品も発表している。また、『ウルトラマンマックス』の第7話の脚本や、『刑事コロンボ殺しの序曲』『刑事コロンボ 死の引受人』などの翻訳(ノベライズ)も手掛けている。

 (https://ja.wikipedia.org/wiki/大倉崇裕 より)

 

このほか、名探偵コナンの脚本を手掛けておられます。

子供から大人までが、トリックを理解し、楽しむことのできる作品を書かれる方なのかなと思います。

 

内容

主人公は、捜査一課の警部補、警察官です。それも、女性で、やや間抜けな感じの、おっとり系キャラクターです。

主人公の彼女には、拳銃はおろか、殴り合いとか、取っ組み合いもありません。非暴力です。

 彼女にあるのは、事実の積み重ねと小さなひらめきです。

 私は、この本を読んで刑事コロンボや古畑任三郎を思い起こしました。

主人公のユーモラスな姿と、犯人を追い詰めていくしつこさが共通していると思います。

 

この本では、ストーリーは、まず犯人が罪を犯すところから始まります。読み手は、犯人がわかった上で、福家警部補がジリジリと犯人に迫っていくところを楽しむ趣向です。

 

私の感想

テレビでたまたま、スポーツ番組も見かけることがあると、私は、不思議と負けている方を応援したくなる。

 

そのせいか、私は、犯人が先にわかってしまうと、不思議と犯人側の立場に立って、物語を読んでしまう。

罪を償うべき犯人を応援するわけではないけれど、犯人の重くのしかかる罪悪感や後悔の念に押しつぶされそうになる姿に、自分自身を重ねてしまい、私は犯人とともに、福家警部補の執拗な操作に耐え、今バレるか、いつバレるのかと、息の詰まる思いを味わうのだ。

彼女の姿には、腹の底から苛立ちすら覚える。

 

そうして最後には、福家警部補に最後の一手を突きつけられて、犯人は観念する。

私も、やっとホッとして本を閉じる。

 

 

 *おすすめのミステリーあります

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映画監督西川美和さんの頭の中をのぞいてみよう

 映画にまつわるXについて 西川美和 (実業之日本社) 

 

この本書いたのどんな人

この本の著者は、映画監督西川美和さんだ。
私は、邦画洋画問わず映画をほとんど見ないので、著者のことは、知らなかった。
調べてみたら「永い言い訳」 という作品では、物語の原作を書き、自ら映画の監督もされたそうで、映画公開の頃に書かれたインタビュー記事がありました。
こちら↓
著者のお顔も拝見できました。意志の強そうな感じのお方です。
  
 

 内容

この本は何?と言われたら、エッセイだと答えるしかないだろう。
でもどうも、エッセイとは違う感じがする。
 
なんというか、私の思うエッセイというのは、自分の目をに映る世界と、自分の中に起こる変化を文章にしたものという感じがするのだが、著者の文章を読んでいると、自分自身を客観的に映像化したものを文章化したようなものであるように感じた。
 
著者は、
十代のころは「思考」や「言葉」を本の中に求めたが、映画の仕事をするようになってからは、無意識に「映画になりそうな材料」を探して本に向かうようになった。
と書いている。
 
この本からも、文字が思考を追うよりも、映像を立ち上がらせるように読んだ方が、楽しいかもしれない。
 
 

私の感想

映画を作っている人というのは、きっと、頭の中に映像だけではなく、音や匂いも、細部にわたって、客観的に感じながら文章を書けるのだろうと思う。
それには、たくさんの言葉も必要だ。
 
彼女は巧みに言葉を並べて、彼女の感じていることを言葉にして表現して見せてくれるのだが、この本を読んで、読み手の方で言葉を理解して、著者の意図を汲み取り映像を立ち上げるには、読み手の力が問われる。
 
この本を読んでいると、そんな感じがしてくる。
 
著者の映画は見たことがないけれど、観てみようかな。
 
著者の描く登場人物たちが、どんな風景の中で、どんな言葉を話しているのか、聞いてみたいと思うのだ。 
 
先に著者の各物語を読んだ方がいいかな。
私の描いた映像とどう違うのかを感じてみるのも楽しいだろう。

 

*おすすめのエッセイあります

tetuneco.hatenablog.com