48億の妄想 筒井康隆 (芸術社)
この本書いたのどんな人
この本を書いたのは、
同志社大学文学部で美学芸術学を専攻し、卒業後展示装飾を専門とする会社を経て、デザインスタジオ設立する一方、35年SF同人誌「NULL」(ヌル)を発刊し、当時の推理小説界の最長老・江戸川乱歩に認められて創作活動に入る。
(筒井康隆 - 公式サイトより)
という経歴の持ち主です。
私のとっては、「時をかける少女」の作者というのが一番です。
「時をかける少女」は、SFであり、ミステリーでもあり、恋心ありでとっても好きな作品です。
そんな素敵な作品を書く方だとばかり思っていたら、著者は、なかなかの皮肉やさんのようで、 ユニークな作品をたくさん書かれている方だと後々知りました。
内容は
この本の舞台となっているのは、あらゆることが、あらゆる場所に設置されたカメラにより撮影されてテレビに放映されるという世界です。
その世界では、人々は常にテレビに出ることを想定した動きをします。
例えば、カップルがデートする場合には、カメラを意識して、恋愛ドラマっぽく行動したり、お葬式でも、やっぱりカメラを意識して、派手に泣いたりするのです。
そんな誰もが演技し、作り物の感情で成り立っている世界に違和感を感じる男が、この物語の主人公です。
この本が書かれたのは1965年ですから、なんだか、誰もがスマートフォンで動画を撮影することができ、YouTubeなどに公開することができる今の世界を予言していたかのようです。
私の感想
この本は、1965年に書かれています。さすがにインターネットの発展は想定できなかったようでメディアは、この本の中のメディアはテレビのみです。
この本の世界では、あらゆる場面がテレビ化されて、人々もテレビに出る事ばかりを考えています。
現代はというと、メディアはテレビから、YouTubeなどの動画、Twitterやブログなどに広がり、多くの人が自らを晒し続けてます(私もその一人です。)。
メディアは違えど、この本は現代社会を予言していたかのようです。
ただ、この本の世界では、テレビに映るメディア上の世界がリアル社会にとって変わってしまっています。メディア上にある世界こそが、リアルなのです。
もしかすると、この本の世界が現実となる日が近づいているのかもしれないと思わずにはいられませんでした。
それが良いのか悪いのか、私にはわかりませんが、少なくとも著者は、メディア上にある世界を馬鹿げたことだと笑っているようです。
この世界が無価値だと知っていて、どうして生きていける
私がこうしていろいろ書いているのも、一つの妄想にすぎないんだなあとか思い始めると、生きていくことができなくなりそうなのでやめておきます。
48億の妄想 筒井康隆