『私とは何か』平野啓一郎
著者の本は、もうずいぶん昔に、とても背伸びして読んだ記憶がある。
その本の内容は、思い出せるほど理解することもできなかったけど、
好きな本だった。
私自身、久しく、「私を探す系」の本からは離れていたが、著者の書く、「私とは何か」を読みたくなって、この本を買った。
私が私を知りたいのではなくて、著者の思う「私」を知りたくなったのだ。
さて、 この本によると、著者のいう「私」は、「分人」なる存在なのだそうだ。
分人とは、対人関係ごとの様々な自分のことである。
分人は、相手とのコミュニケーションを通じて、自分の中に形成されていく、パターンとしての人格である。
一人の人間は、複数の分人のネットワークであり、そこには「本当の自分」という中心はない。
こうして著者は、これまでにない捉え方で「私」を言葉にした。
著者のいう「私」は、なんとなくイメージできた。
ただその、著者はこれ以上分けれない「個人」として捉えていた「私」を、さらに分けるということから、私という存在を「個人」ではなく「分人」と名付けているのだが、どうも、この「分人」という名称だけが、私にはしっくりこなかった。
なんというか、私の思う「私」というか、私自身は、割切れなくて、「分」ける感じが、私には合わない。
分けようとしても、どこまでも分け目が曖昧というか、きれいに分かれなくて、無理に分けようとすると、裂けちゃうようなそんな感じがしている。
そうはいっても、私には「分人」以外の名称を考えだす力がない。
私の思う「私」をここに書こうとずっと探しているけど、言葉がみつからない。
そうして私は、また、私探しを始めてしまうのであった。
*おすすめの新書あります