われ笑う、ゆえにわれあり 土屋賢二(文春文庫)
この本書いたのどんな人?
この本を書いているのは、哲学者土屋賢二さんです。
哲学者というと、いつも答えを探して鬱々としている、近寄りがたい人というイメージでした。
考えることと、楽しく生きることは、両立しないように思われるかもしれない。考えるといっても、どの馬が勝つかといった問題ではなくて、哲学手にな問題を考えるような場合はなおさらである。そのような問題を専門に考えているのが哲学者であるが、哲学者というとたいてい、とても人生を楽しんでいるようには見えないような難しい顔をしていうというイメージがある(そのような顔つきの哲学者がいるのは事実だが、ほとんどは生まれつきである)。
と、著者もいっています。
一方、著者の土屋賢二さんは、哲学者なのに(?)哲学することが、明るいほうに働いています。明るというか、笑える哲学者なのです。
内容は?
哲学者である著者の日々を綴ったものです。
哲学者の日々は、複雑です。
さまざまな思考が絡まり、立ち止まり、考えて、答えもないまま、思考を巡らせ、そうして生きています。
さすが哲学者の書いたこの本は、言葉並べが巧みです。
今日からタバコをやめられる
愛ってなんぼのものであるか?
人間を定義するのは不可能である
あなたも今日から老化が楽しめる
「たばこをやめる」という行為一つとっても、あーでもないこーでもないと、自ら問いかけ、哲学しようとします。
言葉あっての哲学ですから、この本は、言葉の扱い方を存分に楽しむのが一番の楽しみ方だと思います。
本書は、笑っていただくことを目的にしている。もちろん笑いの中から哲学的洞察や金もうけの方法などを読み取っていただくのは大歓迎である。読み取れた場合には私の教えてもらえれば幸いである。
私の感想
哲学者という人種に対しては、結構好き嫌いがあるような気がします。
繰り返し思考し、どこまでも言葉を重ねることが、鬱陶しく感じる人もいるのだろうと思います。
でも、私は哲学が大好きです。
そして、哲学を明るく笑って語れる著者も好きです。
哲学が好きない人も、そうでない人も、いつもと違う感覚で笑ってみませんか?