dokusyo

本を読んで社会をのぞき見

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考える、ということをとことん考える本。それもはじめてかのように

考え過ぎだと人は、私にいう。
では、どこまでが適度で、どこからが考えすぎなのか教えてほしい。
でも、誰も教えられないと思う。

哲学はしばしば変なものとして現われる。
こんなにはっきり目が覚めているのに、
「夢かもしれない」なんて、妙チキリンなことを言う。
自分の意思でお茶を飲んでいるのに、「<自分の意思>って、なんだ。<自分>ってなんだ。<意思>ってなんなんだ」
などとダダをこねるようなことを言ったりする。
だけど、そんなことばで、はじめていままで見えていなかった
自分の枠組みが見えてくるようになる。
揺さぶられて、考えるようになる。

ふむふむ。

たぶん、何かを深く考えるときの
揺さぶられてる感が、私は好きなのだと思う。

だって、
私は、どう考えたって答えが出ないようなことを
わざわざ選んで考え込んでいるとしか思えないから。

現実べったりなら「考える」ということは出てこない。
考えるということは、現実から身を引き離すことを必要とする。
現実からいったん離陸して、可能性へと舞い上がり、
そして再び現実へと着地する。
こんな運動がそこにはなくちゃいけない。
そのための翼がことばだと僕は思う。

なるほどそうすると・・・
考えすぎの私はつまり・・・

現実離れしているということか・・・!

どうりで自分だけ異次元にいる気がすると思った。