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ほんとうの自分ってなんだろう 

<ほんとうの自分>のつくり方 榎本博明

<ほんとうの自分>のつくり方 (講談社現代新書)

<ほんとうの自分>のつくり方 (講談社現代新書)

自分探しって言葉、結構流行ってた気がするけど、
まだやっている人、いるのかなぁ。

私もご多分にもれず、いやまぁ、流行に乗せられてというか
自分探しとかにかぶれていた時期がありましたなぁ。


で、何をしてるかというと、自分の中ばっかり見てる。
そうして見えてくるのは、過去ばっかり、自分の経験したこと感じたことばっかり。


で、もうやめちゃいました。




著者いわく、

ここで僕が言いたいのは、
社会的役割を脱ぎ捨てた自分などというのはないのではないか
ということだ。

社会的役割というものは表面的なものであって、
それを脱ぎ捨てたときに裸の自分、
ほんとうの自分が現われてくる、
などと言う人がいるけれども、それは嘘だ。

社会的役割を脱ぎ捨てたとたんに、
僕たちは自分がわからなくなってしまう。

いくつもの社会的役割を帯びているからこそ、
僕たちは社会に根を下ろすことができる、
つまり社会的依存としての人間でいることができるのだ。


私にとっての、会社的役割って、なんだろ?
会社員、その中での先輩・後輩、夫婦、友達、親子
いろいろあるけど、ついつい面倒になって、放り出したくなる。

自己の探求として捜し求められているのは、
自分そのものとか自己経験の素材とかではなく、
自己を世界にうまくつなぎ止めてくれるような、
納得のいく筋物語であることがわかる。

自分というのは、発見されるのではなく、
物語的筋立てによって構築されるのである。

ゆえに、「自分とは何か?」といった問い方よりも、
「自分はどうありたいか?」という
問う方のほうが正しいことになる。

納得のいく筋物語か〜


私は、こんな人間じゃない、こんなはずはないって、
納得がいかない現実をから目をそらして、いつまでも、納得のいく筋書きを求める・・・

この「納得のいく」ってところが、

探しても探しても切りのない、自分探しのしんどいところなんだろうな、と思う。



勇気がいるけど、ぐっと前向きで力強い問いかけを、自分に向けてみよう。

自分はどうありたいか?



こんな風に自分に問いかけると、私は私の未来像に目を向けることができる。
自分が生きていることこそが本当で、
どんな自分ができるかは、それは未来の私のお楽しみにしようと思う。