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不幸論 不幸から幸せを見つめる。逆転の発想も、ときには新発見があるよ

不幸論  中島義道

不幸論 (PHP新書)

不幸論 (PHP新書)

私は、哲学が好き。

哲学って何よ?といわれると、
これだよといって出せないけど、
そのよくわからない何かが好き。


そして、この中島義道という人が気になる
哲学の本を書く人で二番目に好き。。。
(一番は・・・・)

さて、著者いわく

「幸福」とは「美」と並んで、
場合によっては(議論の多いところであるが)「善」とも並んで、
対象の「うち」に探られるものではない。
それは、判断を下す各人のこころの構えなのである。

なのだそうだ。
そして、

幸福は、盲目であること、
怠惰であること、狭量であること、放漫であること
によって成立している。

という。


つまりは、著者は、
世界の隅々を見ず、考えることを放棄し、ただ目の前にあるものだけを見て、
多くを気にも止めないことによって、

そういう心構えの上に、
ようやく幸福は訪れるのだというのだ。


そうかもしれないな。

私は、たぶん不幸探しのプロだと思う。
どんなときも、どこにいても不幸を探して歩いているようなもので、
見えるものの裏側を、自分の心のその裏側までも、

どこかに不幸がないか探してしまう。

わざわざ不幸を見つけ出しては、
どこかほっとしている私がいる。。

むしろ、私にとって、幸福は座りが悪い

この辺りが、著者と共鳴してしまうところなのだと思う。


著者にとっては、

人間はいつか死んでしまう、ということが、
絶対的不幸なのだそうだ。。。

ただ著者は、絶対的不幸を前に
ただ浮かれ、夢うつつの、張りぼての幸福論に包まれて、
ふわふわと生きるよりも、
自分自身の固有の不幸
その真実を見つめて生きることを選択している。

あなたは自分自身を手に入れようとするなら、
幸福を追求してはならない。
あなた固有の不幸を生きつづけなければならないのである。


不幸だな、不運だな、と思うことは、誰にでもある。
それでも、自分からは下りられない。


そんな中で、
皆と同じように、皆が求める、皆が認める幸福
求め続けなくていいとしたら、
なにやらそれは、幸福な気がするのは、
私だけだろうか。

追記

著者の本は、こんな本も読んでいます。
tetuneco.hatenablog.com

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