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瞑想難民にならないために 瞑想する前の迷走中に読もう

悟らなくたって、いいじゃないか 普通の人のための仏教・瞑想入門

 

 

この本書いたのどんな人

この本は、魚川裕司さんと、プラユキ・ナラテボーさんのお二人による対談をまとめたものです。

 

魚川裕司

日本の仏教研究者、著述・翻訳家。東京大学文学部思想文化学科卒業(西洋哲学専攻)、同大学院人文社会系研究科博士課程満期退学(インド哲学仏教学専攻)。2009年末からミャンマーに渡航し、テーラワーダを中心とした仏教の行学(実践と学問)を学びつつ、仏教・価値・自由などをテーマとした研究を進める。仏教徒を自称しておらず、自身がいわゆる「仏教徒」であるとの自覚はないとしている。

(https://ja.wikipedia.org/wiki/魚川祐司より)

 

プラユキ・ナラテボー

上座部仏教の日本人僧侶

タイで出家し副住職を務める、近年は日本での瞑想指導も行なっておられる。

 

 

内容

 全編にわたり、お二人が瞑想を巡って、議論を交わす対談集。

 

一人は、東大を卒業し仏教を研究しておられ、もう一人は、タイで出家して修行も積まれたお方、お二人ともとても普通の人とはかけ離れた存在だ。

 

タイトルには、「普通の人のための」とあるが、ここにいう「普通」は、ある程度仏教に理解のある方を指しているように思う。

確かに瞑想や悟りについて書かれてはいるのだが。入門書というには、専門用語が多用されており、その門は狭いと感じた。

 

内容をまとめようにも、私には多くは理解できなかった。

ただ、仏教の難しいことはわからないままに、お二人の世界観をなんとなく読み取って、感じるための本かなと。

 

私の感想

私は、どんなものなのかよくわからないままに、瞑想に耽りたかった。

家の近くで瞑想会をやっているという寺院も見つけた。

そんな折、悟らなくてもよく、普通の人のための瞑想の入門とあって、この本に飛びついた。

 

しかしこの本は、私に瞑想を与えてはくれなかった。

そして、いい意味で、私の瞑想にすがる思いを打ち砕いた。 ただ単に、私が普通以下だったというだけのなのだろうが。

 

お二人曰く

「瞑想の技術において優れているということが、人格的に優れていることと直接的にはつながっていない」

んだそうだ。

 

なるほど。

瞑想は、私に悟りを与え、私を覆うあらゆる混沌を消し去る消しゴムでもない。

瞑想とは、私に戻るという感じであって、私を育てるものではないのかなと、私はそんなふうに解釈した。

 

この解釈は、全然違う見当違いなのかもしれない。あっているのかどうかすらわからない。

そもそも、なんでもすぐに理解でき、瞑想すれば悟りが得られると短絡的に考えること自体が間違っているのだろう。

 

この本は、瞑想へのアプローチが少し見えた本だった。

 

 

* 謎な新書あります

 

tetuneco.hatenablog.com