神も仏もありませぬ 佐野洋子 (筑摩書房)
この本書いたのどんな人
この本の著者は、日本の作家、エッセイスト、絵本作家です。
私が著者を知ったのは、
この作品でした。
子供だけではなく大人も含めて、多くの方に愛されている作品です。
彼女の絵本を読むと、きっと、生き物、食べ物、人や音、いろんなものに敏感に生きておられた方だったんだろうなぁと思う。
内容
この本は、著者が64歳から65歳にかけて書いたエッセイです。
著者は、静かな町に住み、そこに住む友人たちと、季節に寄り添うように暮らしている。
老いた自分も老いゆく自分も、こんなものかなと見つめている。
この本では、そんな毎日を綴られています。
著者の友人のアライさんという農家の方が登場するのだが、彼の言葉が素敵だ。
やはり自然を相手に仕事をしている方の言葉は、単純だが重みがある。
ある時、アライさんに、「百姓はむずかしいもんだ。俺が五十年百姓しても五十回しか経験できねェんだよ。トマトならトマト五十回しか経験できねェんだよ」と云われた時ショックを受けた。
この本の中で、著者が綴る言葉からは、生きるということの大きな流れを感じ取ることができます。
私の感想
生きるということは、常に老いるということであり、死に向かっているということでもある。
そんなことは当たり前なのだが、若いうちは、そんなことを意識することなく生きている。
そうして、長く生きていくと、まずは親が老いることで、老いとは何かを少しずつ学び、やがて自分自身には老いがしのびより、ようやく身をもって老いを生きていくことになる。
著者は、時にはジタバタすることもあるが、日常の変化を受け入れて生きていく。
見ていて、いいなあと思う、羨ましい老い方だ。
こういう本が私を癒してくれるということは、私もそろそろ老いを受け入れ始めているということかもしれない。
私も著者のように、私らしく生きて、いつか私より若い誰かの癒しとなれればいいなと思った。
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