- 作者: R.L.スティーヴンスン,R.L. Stevenson,Robert Louis Stevenson,海保眞夫
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 1994/11/16
- メディア: 文庫
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本から本へと芋づる式に勧められるままに、この本へとたどり着いた。
善と悪の二重人格
これが私がこの本を読む前に、この本に対して持っていたイメージだ。
しかし、ちゃんと読んでみてわかったけど、そうじゃない。
善と悪とをそれぞれ別個の個体に宿らせることができれば、人生から一切の悩みが排除されるだろう。
不正の人間は、これまで自分と双生児だった正しい人間の持っている、理想と自責の念とから解放され、勝手に我が道を歩むことができる。
正しい人間のほうも、今や不正と縁が切れた以上、恥辱と悔恨にさらされる心配はない。
善行に喜びを見出しつつ、高邁な目標にむかって着実に進むことが可能なのである。
善と悪という互いに無縁の存在が一緒に束ねられていること、すなわち、両極端なこれらの双生児が意識の体内で激しく争い合い、哀れな宿り主を苦しめていることこそ、人間の災いではなかろうか。
ジーキル博士はこのような考えから、薬液を作り上げた。
博士は、純粋なる悪と純粋なる善を得て、喜びとともに暮らすはずだった。
しかし、物語は、そうは進まない。。
善と悪が区分されるのではなく、善と悪との混合体であるジーキル博士の、これまで抑え込まれていた邪悪なる部分だけが、解放されてしまった。
これが、ハイド氏だ。
こうして、ジーキル博士とハイド氏は、善と悪との対比ではなく、善と悪の混合体と悪との対比として、描かれていく。
ジーキル博士は、善と悪の混合体として、悪への強い憧れに吸い込まれていくように、薬液を飲み続けていく一方で、善からくる強い悔恨に苦しむこととなる。
結局、
善と悪は切り離せない。
それが答えなのかなと思う。
悪から逃れるように、善を追い求め、いかに正しい暮らしをしようとも、悪への強い憧れは、どこからともなくやってくる。
そして、それから逃れるようにまた、善を求める・・・
とはいえ、
人間が善と悪との混合体であるならば、どちらか一方に完全に偏ることはないのではないだろうか??
こんな風に考える私ってもしかして、性善説派なのかな。。
私は、よく二重人格だっていわれる(笑)
ある友人曰く。
すごーく冷たいところと、すごーく熱いところ
すごーく強いところと、すごーく弱いところみたいな
両極端の性格が共存しているらしい。。
どうやら、私自身から、どちらか一方を切り離してしまうこともできないし、混ざり合うこともないようだ。。
どっちも私。
カフェオレみたいに甘ったるくってどっちつかずのそんな風にはなれないようだ。