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『意識とはなんだろうか』下條信輔

「意識」とは何だろうか―脳の来歴、知覚の錯誤 (講談社現代新書)

「意識」とは何だろうか―脳の来歴、知覚の錯誤 (講談社現代新書)

「意識」とはなんだろうか。

それはいつもよくわからなくて、

ただいつも思うことだが、私はどうやら、

人より「無意識」の部分が広いのではないか、ということだ。


意識が足りない、ということなのかもしれないけど、

私としては、あくまでも無意識が広いんだ、と思いたい。


ま、ほとんどの人がそんなことどっちでもいいのだろうけど。


さてさて、この本、意識とは何かについて、

じりじりと周りから攻め、ときには引いて高いところから眺め、

さまざまな視点から、

私のような凡人にも、「意識」の姿を見せてくれた。



中でも、とても気になったのが、

他者の存在から意識は生まれる

ということ。

心はどの場所に存在するのでしょうか。

脳の中に、という答えが、現代人なら一般的でしょう。

けれども、以外に聞こえるかもしれませんが、

他人に、という答えもじゅうぶん可能だと思うのです。

「心はどこにあるのか」というとき、いうまでもなく問われているのは

自分の心のことですから、これはまるで形容矛盾だと言う人も

いるでしょうけれども。

少なくとも、心が本人の脳に存在する、というのと同じ程度には、

成り立つ理屈だと思うのです。


そうか、私の心は、私の中だけにあるのではなく、

他人との関係の中にあるのか、そうか。


なんだか妙に納得してしまって、

他人との関係の薄さから、私の心は偏ってしまっているのかな、

なんて思った。


たぶん同じような理由で、

他人との関係をシャットダウンした時点で、

私は意識の世界から無意識の世界に入ってしまうんだろうな、と思う。


こういう本を通して、私を見ることができるし、

この本が、私を作るともいえる。


この本も、私の心といっていいのか?なんて考えたりした。