- 作者: 竹内整一
- 出版社/メーカー: 筑摩書房
- 発売日: 2009/01
- メディア: 新書
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さようなら
この言葉を最後に使ったのはいつのことだろうか。
思い返しても、みつからない。思い出せない。
いちのまにか、さようならはバイバイなんて、
かぁるい言葉にとって代わられてしまったのだろうか。
ところで、この本によると、世界の別れの表現、別れの言葉は3のタイプに分類できるそうです。
1 Good−bye に代表される「神があなたと共にあらんことを祈る」タイプのもの
(God be with you の略だそうな)
2 See you again に代表される「再び会いましょう」というタイプのもの
3 Farewell に代表される「お元気で」というタイプのもの
そして、さようならは、このいずれにも分類されない、ある種、独特のものなのだそうな。
では、さようなら にはどのような意味が込められているのでしょうか。
この本では、その語源にまでさかのぼり、
この言葉に込められている日本人の別れの意識を解き明かし、
そして、最大の別れである死についても解き明かしていく。
さて、このさようなら、
もともとは接続詞の「先行の事柄を受けて、後続の事柄が起こることを示す」
「さらば」なんだそうで、
近代以降は、「左様ならば」、「さようであるならば」、となっていき、
今の別れのあいさつへと変化したものだそうだ。
このことからして、さようならは、
神様がどうとか、また会おうとか、お元気でなんて、
別れをはぐらかすような表現ではなく、
何かに区切りをつけ、それはそうとして、さようならば、そうしようといった
別れを別れとして捉える表現なのです。
確かに、今、誰かにさようならって言われたら、
え、もう会えないのなんて思ってしまうだろう。
どうやら、さようならの元の意味を知らなかった私にも、
その意味するところは、受け継がれているようだ。
私にとって思い出されるのは、学校での授業の終わり
「せんせいさようなら、みなさんさようなら」
毎日そう言って、みんなであいさつしてから、家路についていたこと。
一日の授業を終え、さらば、かえらん。ってとこかな。
さようなら
今日の私にはもうさようなら。
なんだか一日一日を区切ることで、
今を大切に生きることを意識できるような気がするから、私なんて単純なもんだな。
左様であるならば、
使ってみるかな さようなら
そうそう、私の住む大阪で使われている「さようなら」と同じ意味の言葉が、紹介されていました。
それは、「ほな」
関西では、「ほな、また明日」なんて具合に使われています。
この言葉、私、好きなんだよね。
ほな、もう寝ますわー