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『ことばが劈かれるとき』竹内敏晴

ことばが劈(ひら)かれるとき (ちくま文庫)

ことばが劈(ひら)かれるとき (ちくま文庫)

まずは、本の紹介を引用。。

からだは、自分と世界とがふれる境界線だ。

そこに必死になって生きようとしながら、

閉ざされ、病み、ゆがむ”からだ”……。

幼時に耳を病んだ著者が、どのようにして”こえ”と”ことば”を回復し、

自分と世界とのふれ合いを、

また、人間関係のダイナミズムをとり戻していったかーー

長く苦しい努力の過程を語りつつ、

人間の生き方の根底を照らし出すユニークな一冊。

耳の病気のために、音のない世界に生き、押し黙る生活を余儀なくされ、

やがて、病気の克服とともに、

音のある世界に舞い戻った著者。

しかし、著者が、音を、声をとり戻したとき、話すための「ことば」がみつからなかったという。


口から音が出るということと、話せるということは同じではない

話すには、伝えたいことを”言葉”に換えて、相手に届けなければならないのだ。

そこには、伝えたいこと、そして、言葉 が必要なのだ。

そして、

伝えたいことを言葉に換えるためには、たくさん言葉を知っているだけではだめで、

伝えたいことにぴったりくる言葉をうまく見つけてやらねばならない。


とはいえ、ぴったりくる言葉なんて、なかなかどうして、

そう簡単に見つかってくれるものではない。

私は、文章を書く苦痛のほとんどは、言葉探しの苦痛だと思う。



そして、無意識に、伝えたいことにぴったりくる言葉を見つけ出すには、

やはり、インプットとアウトプットの双方を繰り返すしていくしかないのだろう。

聞いて、読んで、話して、書いて、歌って。


そうして見つけた言葉を、

声にして届けるためには、言葉を音にするだけではだめで、

言葉を、身体を相手(他人)に向かってひらかなくてはなならない。

こえで相手にふれるのだ。

私が、あなたと話すとき、私の声を、私の体から、あなたの体に届けるのだ。




生まれてこの方、私は話せると思っていたけれど、

私は、一体どれだけの人と、ちゃんと話してきただろうか。


これまで私は、私を言葉に換えて、声にして、相手に届けてきただろうか。


もしかすると、ほとんどが独り言毛の生えた程度のものだったりするかもしれない。と思う。




こうしてここに、もぞもぞと文を書いているのは、たぶん、

ことばを声にするより文字にして、ここに放置することで、

誰かに、自分を真正面からしっかり届けることを避けているんだろうな。。と思う。


ちょっと猫背で、何かを胸に抱えるみたいに、いつもちょっと前かがみの私。

まずは、胸を開いて声を届けてみよう。


「おはようございます」とかならやれるだろう。



けっこう、いい声なんだぞー



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